「カービィカフェ」が福岡・キャナルシティ博多に!カービィバーガーや星形パンケーキ、限定グッズも

人気ゲームシリーズ「星のカービィ」をテーマにした「カービィカフェ(KIRBY CAFÉ) 博多」が、2019年8月8日(木)から11月4日(月・祝)まで、福岡・キャナルシティ博多に期間限定オープンする。

YYk東京ソラマチでも9月23日(月)までオープンしている「カービィカフェ」が、福岡・博多に登場。「カービィカフェ 博多」では、2018年9月に開催されたカービィカフェ第1章から人気の「カービィのすいこみカプレーゼ」や「クラッコのシュワシュワソーダ とどめの一撃仕立て」などお馴染みのメニューをはじめ、博多限定メニュー、博多限定グッズも多数展開される。

「カービィカフェ 博多」は、東京で開催された第1章の、ウィスピーウッズのリンゴがたわわに実る森を散歩していたプププランドの名シェフ・コックカワサキがひらめいた新しいアイデアをもとに、カービィとワドルディを含めた3人が、再びカフェをオープンするというストーリーのもと展開。

博多限定フードとして提供されるのは、“ウィスピーウッズ”ココットの周りに鮮やかな野菜を盛り付けた「ウィスピーウッズのもりもりサラダプレート」や、“ワドルディ”を象ったチキンライスにとろとろ卵の布団をかけた「ワドルディのおひるねオムライス」など。

星形パンケーキにフレッシュなフルーツを添えた「ふわふわワープスターパンケーキ」といったデザートも限定バージョンで用意される。

一部のメニューには博多限定のスーベニアグッズがセットに。ピンク色の“カービィ”バンズが目を惹く「カービィバーガー&ミートパスタ温野菜のせ」にはプレートが、“カービィ”のラテアートを描いた「アートコレクション・オ・レ」にはマグカップが付いてくる。

キャナルシティ博多内の別会場では、カービィカフェ ザ・ストアも同時開催。Tシャツやマグカップ、iPhoneケースなど、博多限定グッズを含むカービィカフェのオリジナルグッズをはじめ、様々な「星のカービィ」グッズを購入することができる。

カービィカフェ 博多
開催期間:2019年8月8日(木)~11月4日(月・祝)
所在地:福岡県福岡市博多区住吉1-2-1 キャナルシティ博多ノースビルB1F
営業時間:11:00~23:00(22:00ラストオーダー)
TEL:8月8日(木)より開通
席数:40席

利用方法:WEBサイトからのみの予約制
※7月1日(月)より、8月8日(木)~8月29日(木)までの予約受付。
※以降の予約は7月2日(火)0時より、8月30日(金)以降の予約を1日ずつ開放。
※カフェ併設のグッズコーナーの利用もカフェの予約が必要。

英国と日本を行き来するファッションPRが実現した理想の働き方と暮らし方

オーストラリア出身で、PR会社CPR トウキョウ(CPR TOKYO)を率いるニコル・バグワナ(Nicole Bargwanna)代表は2017年12月、起業家ビザを取得して家族と共にイギリスに移住した。現在暮らすのは、ロンドン近郊のケント州にあるセブノークスという街。日本への留学を経て20年以上日本でキャリアを築いてきた彼女は、オフィスを構える東京を離れることに不安はなかっただろうか?移住を決めた理由から、イギリスと日本を行き来する現在の働き方やライフスタイルまでを聞いた。

17歳の時に地元のロータリークラブの留学制度を使って日本を訪れたのがきっかけで、東京の学習院女子高等科で1年間学びました。それまでフランス語を勉強していたのでフランスに行きたかったのですが、母から「こういう機会じゃないと行けない国に行ったら?」と言われたこともあり、日本を選びました。実は子どもの頃に住んでいた家の向かいが大阪のウール関連企業の社宅で、高校教師をしていた母は英語が得意でない駐在員の奥さんにボランティアで英会話のレッスンをしていたんです。なので日本人の気質を知っていたし、娘を日本に送り出す方が安心だったのかもしれないですね。それに当時、オーストラリアへの日本人観光客が増えていたにもかかわらず、日本語を話せる現地人は少なくて、将来的に生かせるだろういうこともありました。

190528_life.02.webpいいえ、まったく!でも日本では2カ月ごとにホストファミリーが代わるシステムで、途中からは英語を話せない家庭だったので、頑張って話すようにしていました。幸い、学校で私ともう1人の留学生のためのプライベートレッスンを受けることもでき、その間に基本的な日本語を習得しましたね。今のようにインターネットも普及していなかったので、オーストラリアにいる家族や友達とのコミュニケーションは、手紙のやりとりやクリスマスなど特別な日の国際電話くらい。日本で友達を作らないと本当に孤独になってしまうので、一生懸命でした。そして、1年間の滞在を終えて帰国し、オーストラリア国立大学でアジア学とアートキュレーションを専攻しました。在学中に1年間千葉大学に留学した後に卒業したのですが、“社会人”として日本で暮らしてみたいという気持ちがあり、日本に戻ってくることにしました。最初は2〜3年でオーストラリアに戻るつもりだったのですが、いろいろな機会に恵まれて、気づけば20年ほど日本で働いていましたね。

いいえ。最初は、オーストラリアの新聞に求人広告が出ていた岡山の企業に入社し、ホームページの翻訳などを担当していました。当時の岡山にはそんなに外国人も多くなかったので、かなり浮いていましたよ(笑)。それに学生時代からの知り合いは皆東京にいたので、上京することにしました。そこでまず勤めたのはテレビ番組の制作会社で、そのインターネット部門で日本に住む外国人向けのオンラインメディア制作に携わりました。その後縁があり、オーストラリアの大手インターネットサービス企業の東京支店設立に関わることに。マーケティング部署でファッション企業のクライアントと一緒にプロジェクトを行ったことがきっかけで、ファッション業界に興味を持つようになりました。そして、関わる方法を模索していた時、友人からの紹介で「キュー(Q)」のPRとバイヤーの仕事を始め、3年間キャリアを積みました。その後入社したリステアではインターナショナル・コミュニケーションズ・ディレクターとして、マーケティングやブランディング、イベント企画、海外とのコミュニケーションなどに携わり、バレンシアガ・ジャパンの立ち上げにも関わりました。2年半勤めた後に独立して、2009年にPR会社としてCPRトウキョウを立ち上げました。

設立当初は1人でしたが、今はスタッフを雇うようになり責任の大きさを感じています。ですが、自分の会社だから融通が利くというのはありますね。実際立ち上げてから2人の子どもを出産して育児しながら働いていますし、私はオーストラリア人なのでクリスマスなどのホリデーはしっかり取りたい。だからこそ、メリハリを大切にするようにしています。それに今はパソコンがあればどこででも仕事ができますからね。仕事において一番大事にしているのはヒューマン・リレーションシップ。クライアントに対しても、スタッフに対しても、そこがうまくいかないとダメだと思います。

もともとヨーロッパ圏に住んでみたいという気持ちはずっとありましたが、私自身は日本でしか社会人として働いたことがなく、これまでの経験を生かして新しい場所でチャレンジしてみたかったというのが大きいですね。でも年を取ればとるほど動くのは難しくなるし、夫(香港出身カナダ育ちのフォトグラファー)も東京での生活が長くなってきて「別の場所に行くのもいいんじゃない?」という話をしていて。手遅れになる前にと決心しました。妹家族がイギリスに住んでいるということにも後押しされましたね。そもそも移住を考え始めたのは2011年の東日本大震災の後だったのですが、実現するためには会社の状態が安定していることが絶対条件でした。東京のオフィスを閉めるつもりはありませんでしたから。そして、ちょうどイギリスのクライアントも増え、社内の新しいチーム体制が整ったのを機に、本格的に動き出しました。

そうですね。いざ申請となると、たくさんの書類をそろえないといけなかったですし、かなりの時間も要して大変でした。半年以上はかかりましたね。ただ、日本でもこれまでにビザ申請を何度もしていたので、普通の人よりは慣れていたと言えると思います(笑)。そして、いろんな方の協力もあって無事起業家ビザを取得し、2017年12月に移住しました。

もともとはロンドンを考えていましたが、実は妹家族がセブノークスに住んでいて、移住前に何度かトライアルで泊まりに行ったときに気に入ったんです。私にとっては、近くに家族がいるというのが理想的でしたね。それに実際、ロンドンブリッジ駅までは電車で約20分とアクセスも良くて。ロンドン市内に住んだら東京と変わらないような物件しか借りられませんが、セブノークスなら一軒家に住んで、自然に近いカントリーライフスタイルが送れるというのは非常に魅力的でした。自分が田舎で育ったので子どもにも小さいうちにそういう環境を味わってほしいと願っていましたし、せっかく移住するのであればクオリティー・オブ・ライフを上げたいという思いがありました。

全く後悔はないですね。ただ、生まれ育ったオーストラリアよりも長い年月を日本で過ごしてきたので、今でも日本のことは大好き。イギリスに住みながら日本に定期的に戻れるような働き方を実現したくて、3カ月に1回は1週間から10日間ほど日本に出張しています。もともと日常のプレス業務は基本的にスタッフに任せて、私は戦略やプランニングなどを担っているので、仕事内容に大きな変化はありません。変わったのは、東京のオフィスと毎日電話会議をすることくらいでしょうか。あと、週2~3回はクライアントとの打ち合わせなどでロンドンに行きます。自分が東京にいないということについては信頼できるスタッフがいるので心配していませんし、全員が海外在住経験のあるスタッフだから理解してくれている部分も多いと思います。

メリットは、より密なコミュニケーションで深い関係性が築けること。やはりすぐに現地でミーティングやブレインストーミングをできるのはクライアントにとっても安心感がありますし、日ごろから実際に会って話すことができる距離感というのが他社との違いになっていると思います。また、PRの枠を超えてもっと深い仕事をすることができて、商品開発などより早い段階から関わっていくことができます。実際、「スマイソン」ではPRだけでなく日本市場向けのコンサルティングも行っています。パソコンがあればどこでも仕事ができる時代なのでデメリットは特に思いつかないのですが、つらいと言えば日本時間の会議に合わせて朝早く起きることくらい。時差だけはどうにもできませんからね(笑)。

ファッションはもちろん一生大好きですが、年を取るにつれて自分の暮らす空間に対する興味が高くなってきて。そこで3年ほど前から日本に住むデザインエディターの友人と構想やリサーチを始め、移住するタイミングでCPRとは別にインテリアビジネスを手掛けるNiMiプロジェクツを立ち上げました。最初はオンラインストアだけから始めようと思っていたのですが、たまたま子どもが通っている学校の近くに築400年くらいの物件を見つけて。オフィススペースも必要でしたし、空間やロケーションをとても気に入ったので、オフィス兼ショップとして2018年9月にオープンしました。日本の職人さんや若いデザイナーを応援したいという思いもあり、まだあまり知られていないような日本のプロダクトだけを扱っています。

イギリスやヨーロッパのクライアントを増やしていきたいし、新たなチャレンジにもオープンな姿勢でいたいですね。具体的にはPRだけではなく、日本市場向けのコンサルティングやビジネスデベロップメントにも携わっていきたい。海外を拠点にしているからこそできることもたくさんあると思いますし、久しぶりにすごくワクワクしています。CPRとしての理想は、東京のスタッフも皆、日本と海外を行ったり来たりできるような真のインターナショナルな環境を作ること。個人的には、インテリアのお店も本格的に取り組んでいきます。会社としても、個人としても、可能性を探求していきたいですね。

伊「ヴォーグ」が60歳以上のシニアを大特集表紙は73歳の女優

伊「ヴォーグ(VOGUE)」10月号(10月5日発売)は“タイムレス イシュー”として、全編にわたり60歳以上の女性にフォーカスする。3パターンある表紙を飾ったのは73歳の米女優ローレン・ハットン(Lauren Hutton)。これまで「ヴォーグ」の表紙を飾った最年長は、2013年当時73歳4カ月だったティナ・ターナー(Tina Turner)だったが、ローレンは7カ月年上でその記録を塗り替えた。

171005vi1710-cover_1_no-code.webpエマニュエル・ファルネティ(Emanuele Farneti)伊「ヴォーグ」編集長は「年を重ねてもファッションは楽しめるのか?答えはイエスだ。すでに多くのランウエイショーや広告キャンペーンで証明されているが、若い世代が年を重ねることを楽しめるかとか、どの世代が購買力があるかというよりもわれわれは広義的に年齢もダイバーシティーの一つだと考えている。ジェンダー、民族、宗教と同じように、年齢もダイバーシティーに含まれている」と語る。

ローレンはこれまで米「ヴォーグ」の表紙を27回、米以外の「ヴォーグ」の表紙も13回務め上げたが、「今回が一番自分が『役に立てた』と感じた表紙。この年齢でも知的で魅力的、かつ笑顔を兼ね備えていることが証明できた。社会を変える可能性を秘めている表紙だと思うわ」と話した。

表紙を撮り下ろしたフォトグラファー、スティーブン・クライン(Steven Klein)は「雑誌の表紙は、写真が全てじゃない。時代を映す鏡として、チャレンジングでインスパイアにあふれたものであることが一番重要だ。“タイムレス イシュー”の表紙を撮りたかった一番の理由は、70歳以上の女性がどのように見えるかを新たに示したかったから。だからローレン・ハットンを表紙に撮り下ろすことができてとてもうれしかった。彼女は73歳だが今でもセクシー。しかも彼女は何も化粧はせず、年齢を受け入れている。この表紙には『年齢至上主義社会でも、あなたもセクシーな70歳になれる』というメッセージを込めた」と語る。

“タイムレス イシュー”では62歳のモデルで、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)のパートナー、イマン(Iman)や1965年に初めて伊「ヴォーグ」の表紙モデルに選ばれ、現在74歳のベネデッタ・バルジニ(Benedetta Barzini)、天才起業家イーロン・マスク(Iron Musk)の母で69歳のモデル、メイ・マスク(Maye Musk)、史上初のトランスジェンダーモデルで現在66歳のトレーシー・ノーマン(Tracey Norman)などが登場する。

なおローレンは、トーマス・マイヤー(Tomas Maier)=クリエイティブ・ディレクターの就任15周年とブランド設立50周年を記念した「ボッテガ・ヴェネタ(BOTTEGA VENETA)」の2017年春夏シーズンのショーにモデルとしてランウエイを歩き、来場者だけでなく、業界を驚かせた。